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2話 誰にも縛られぬ空の下

last update Last Updated: 2025-08-14 12:24:09

 そんなネクターの生家は、イフェメラ王国の西方に位置する大都市スチールギムレットにある。

 その地の名門──ブラックバーン家と聞いて、知らぬ者はこの国にはいないだろう。

 ブラックバーン社。王国軍を主な取引相手とする飛行船製造の巨大企業だ。

 莫大な資本力を持ち、「ブラックバーン社なくしてイフェメラ軍は成り立たない」とまで言われている。

 そして、その社の経営を担っているのが、ネクターの母・アナスタシアである。

 婿を取って女が家督を継ぐ──代々続く女系家族という点もまた、異端の名を広める一因となっていた。

 だが、それは同時に、ネクターの人生に重くのしかかる宿命でもあった。

 なにしろ、ブラックバーン家では〝長女が経営者を継ぐ〟のが絶対的な決まり。

 ネクターは一人っ子。

 つまり、家督を継ぐことは、生まれた瞬間から決まっていたのだ。

 将来の夫となる相手は優秀な技術者に限る。

 雇う人材もまた、王国屈指の技術者ばかり。

 経営を担う女は、まるで女王蜂のようにその頂点に立ち、全てを掌握する──。

 けれど、ネクターの関心は経営などではなかった。

 幼い頃から、自社工場に入り浸っていた彼女の心を捉えていたのは、むしろ〝技術〟のほうだった。

 壊れた時計やラジオをお小遣いで買い取り、分解しては中を観察するのが日課。

 歯車、リベット、ゼンマイ、香箱……その全てが精密に噛み合って動く、〝完璧な小さな世界〟にネクターは夢中になった。

『私、大人になったら叔母さんみたいな修理技師になりたいの!』

『おじい様みたいに素敵な冒険もしてみたい!』

 そう語る幼いネクターに、母は困り顔で笑っていた。だがその想いは年を経ても変わらず、十三、十四になっても言い続けた。

 そして十五歳の春、ついに母の堪忍袋の緒が切れた。

 家庭教師による教育が一段落し、進学を控えた時期だった。

 激しい口論の末、ネクターは与えられた未来を拒絶し、半日かけて汽車に乗り、アッシュダストの叔母の元へと家出したのだ。

 ──それも、入学が決まっていた学院の入寮日前日に。

 その選択が母を怒らせることは、もちろん分かっていた。

 だが、それでもなお、自分の手で夢を叶えたかった。

 当然、母は激怒し、ネクターを連れ戻しにアッシュダストまで訪ねてきた。

 けれど、ネクターは頑として帰ろうとはしなかった。

「お母様だって経営者でしょう? 仕事をしてるって意味では、私と同じ〝異端〟じゃない!」

「それとこれとは話が違うのよ!」

「何が違うのよ! 私は経営なんてしたくない。勝手に縁談なんて決められても、嫌なのよ!」

 ──結婚なんてするつもりはない。

 家なんて継ぎたくない。

 私は、尊敬する叔母のように修理技師として生きていきたい!

 ネクターの心からの叫びに、叔母はほんのわずかだが、彼女の背中を押してくれた。

 だがそれは、母の怒りに油を注ぐ結果にもなってしまった。

「ブラックバーンの娘で、赤い髪の子が異端でなくて何なのよ! 貴女たちは本当の〝異端の魔女〟だわ。いいわ! せいぜい、うちの技術者たちより立派な修理技師にでもなってみなさい!」

 ──どうせ、無理でしょうけどね!

 そう吐き捨てて、母は去っていった。

 それを機に、親子の間には深い溝が生まれた。

 本来ならば副経営者として家にいる筈だった叔母に続き、「ブラックバーンの姓を名乗るな」とまで言い放たれたネクターは、それ以降、祖父の旧姓〝エヴァレット〟を名乗るようになった。

 それにもかかわらず、母からの手紙は毎月欠かさず届く。

 内容はいつも同じで、延々と説教じみた文面ばかり。

 ネクターは次第に封を切ることすらしなくなり、二年経った今も、それらの未開封の手紙は、自室の隅にある木箱の中に静かに眠っている。

 叔母の工房に転がり込んでからは、猛勉強の日々だった。

 ──とはいえ、好きな分野だったこともあり、夢中になって学んだ結果、習得は驚くほど早かった。

 わずか一年足らずで、叔母が持つ技術や知識の大半を吸収してしまったほどだ。

『さすが、見込んだだけある。あんたも、まったくの変わり者だねぇ』

 呆れながらも笑ってそう言われた時、ネクターは素直に嬉しかった。尊敬する人にそう認められることが、どれだけ誇らしかったか。

 学校の入学も蹴ってしまったので、仕事以外の時間は少しの余裕があった。

 ネクターはそれからというもの、仕事の合間や休暇を使って、祖父の冒険手帳に記された地を訪れるようになった。

 自由に、思いのままに。彼女は今、誰にも縛られない人生を歩んでいた。

 冒険についても、叔母は何も咎めなかったのもありがたかった。

『やりたいことを、悔いなくやればいい』と、ただそれだけ。

 今回の外出も、「ガラクタ持ち帰って、部屋を汚くするんじゃないよ」とだけ言って、口出しは一切しなかった。

(まぁ、今回の目的物がどんなものかは分からないし、持ち帰ることができるかも怪しいけど……さて。地形的には、もうすぐね?)

 ネクターは片手で工具ポーチをまさぐり、コンパスを取り出す。

 進行方向は南西。手帳に記されていた目印の森が見え始め、彼女は巧みに飛行二輪を操って、ゆるやかに高度を下げていった。

(──念願ね! これで手帳最後の目的地、南西部ホワグラスの地底遺跡……《五百年の孤独》!)

 ゴーグルの下、琥珀色の瞳を爛々と輝かせ、ネクターは森の中へと着陸した。

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